半年間病気で引きこもりをやって、世界はどう変わったか?②

Pocket

ごきげんイカが?イカちゃんですくコ:彡

1/28(日)に次の記事を出すと言いながら、内容が膨らみすぎて1日遅れてしまいすみませんm(_ _)m

(決してアイキャッチ画像をエヴァンゲリオン風にしたり、無駄な部分までこだわってたからじゃないですよ!えぇ、決して!←)

前回の記事では引きこもりを経験して「わたしの中の世界」はどう変わったのか?を書きました。

※まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

半年間引きこもりをやって、世界はどう変わったのか?①

今回は引きこもりを経て、「わたし以外の世界」がどう変わったのか。

そして、引きこもりのその後をお伝えします!

果たして、大学に復帰するか否か

引きこもっていた時期は、大学3年生の前期。

その半年はまるまる休んでしまっていました。

顔を晒せず家を出られる状況でなかった私は、

「戻っても、居場所があるかわからないし、退学しよう。今は大学のことなんて考えられない。」と思っていました。

だけど、両親は「まだわからないから、今期は籍は置いておけ。学費のことはもう気にするな。」

と、籍だけは置いておりました。(親は私の持ち味である「しぶとさ」を発揮して復活することを予期して、言ってくれていたのだと思う)

 

そして、ようやく外出ができるようになった8月、もうすぐ大学3年生の後期が始まるところでした。

「大学の友達に会いたいなぁ。だけど、半年間雲隠れしていたを受け入れてくれるのかなぁ。」

と、不安と葛藤。突然いなくなった人がふと現れたらどう思われるのか。

 

9月に“成績配布日”があったので、恐るおそる行ってみることにした。

(大学に行けてないから、成績なんてもちろん0点だろうけど)

大学に久しぶりに足を踏み入れる

いよいよ“成績配布日”、そろ〜っと忍び足で大学に足を踏み入れた。

学部と学年ごとに配布教室と時間が分かれているので、教室に行くと学部生だらけだった。

 

知っている子を見つけたので、「久しぶり・・・」と声をかけてみた。

すると「久しぶり!!!どうしてたの〜?」とやはり驚かれた。

この半年間の出来事を話すと、

「大変だったね。ちゃんとこれるようになって良かったね!おかえり!!」と、笑顔で受け入れてくれた。

そのあとも、たくさんの友達にあったけど、みんな

「おかえり〜!また遊びに行こ!!」

「飲みに行こうよ!!」

「授業一緒のやつとろうよ!」

など、優しく受け入れてくれた。

私は「半年間いなくなっていた人」だ。

そんな私に対して、学部のみんなは前と「変わらず」接してくれたのだ。

この時に受け入れてくれた友達とは、死後まで友達で居れると思う。いやもう、全員結婚しようぜ←

心優しき友よ、ありがとう!!!!!!

「60点」

成績表をみて見ると、当然授業に出てないしテストも受けていないので「0点」の文字が並ぶ。

大学の単位は、60点を下回ると「単位を落とした」ということになる。

そんな中、一つだけ点数が付いていた教科があった。

「演習Ⅰ:60点」そう、ゼミである。

 

この数字をみた瞬間、私はゼミの先生の研究室にダッシュした。

「演習Ⅰ」を落とすと、次の学期の「演習Ⅱ」に進めないのだ。ゼミを辞めるということになる。

だが、私は半年間消えたも同然だったというのに、ゼミの先生は「ゼミ生」として繋ぎとめてくれたのだ

研究室を訪れると、

「君はいつか復帰すると思って、待ってたよ。這い上がったあなたは、強い。これからも頑張れ!」

と言っていただき、その場で私の涙腺は崩壊しました。

この後、勉強面での遅れをとっていた私は、皆に追いつくのに必死でガムシャラでしたが、4年生の卒論までゼミをやりきりました。

卒業の際の送る言葉でも「あの時戻ってきてくれて、よかった」と言っていただき、またまた涙腺崩壊しました。

厳しくてブラックなゼミだったけど、この先生に付いてってよかったです。

引きこもり後の「周りの世界」は思ったより優しくて、変わらず受け入れてくれて、が溢れていました。

何で理解してくれないのだろう

だけど、復帰を受け入れて頂けなかった人も少なからずいました。

私は、大学に復帰するにあたって、引きこもり前に活動していた

「オープンキャンパスの運営団体」に戻ってオープンキャンパスに参加したいと思いました。

1・2年生と、OCイベント前には夜遅くまで精力的に活動しており、一つの「居場所」でもあったから。

副代表に、連絡して見ると「それは厳しい」と言われ、

同学年のメンバーを集め、とりあえず話し合いをすることになった。

 

話し合いの場では、私の話など一切聞き耳を持ってもらえず、

論点は「いなくなった私が活動再開するの許していいものか」ということ一点だった。

公開処刑とはこのことを言うのだと思った。

「あなたが半年間いなくなっていた間、わたしはどれだけ活動を頑張ってきたと思うの?」

と、皆は私が居なかった半年間、自分がいかに活動をがんばってきたのかを熱弁して、私の非を咎めてきた。

この時「私に戻ってきてほしい」という人も少なからずいたが、

追い詰められていた私にとって周りはみんな「」にしか見えなかった。

人生で初めて「集団リンチ」を受けた気分だった。

傍から見ると私は「半年間、音信不通で急に戻ってきた奴」なのだから、受け入れ難いのも無理もない。

散々追い詰められ、私は涙でしゃべることができなくなり、これ以上想いを伝えることも難しくなってしまった。

少しでも希望を持っていたことが間違いだった。

過去形の威力

喋れなくなるぐらい私が弱ってしまったので、その場はお開きに。

帰宅後、改めて副代表にラインで改めて参加の意思を聞かれた。

私は折れずに「参加したい」という気持ちを突き通した。

事前に「参加の是非は3年生とイカちゃんの意思を尊重して決める」と言われていたが、

副代表のLINEの言葉の節々からはもはや私の意思関係なく「参加しないでほしい」という気持ちが見え隠れする。

(直接的に「参加するな」と言わないのは、自分が悪者になりたくないからだろうか)

これ以上、責められるのは、心が持たない。もう、諦めよう。

私は家で母に泣きつきながら、震える手でLINEの文字を打った。

すると、あっさり受け入れられ

(当時のLINEの文字そのまま)

      

との、言葉を最後にやりとりは終わった。

仲間でした

この言葉がずっしりと、心にのしかかった。
仲間です」と「仲間でした

一文字しか変わらないが、「過去形」になっている。

私はもう「仲間ではない」のだ。

 

こちらの「世界」では私は受け入れられず、見捨てられてしまった。

自分でも「離れていく人がいるのでは」という恐れは、わかってたのではないのか。

だが、いざ離れて行ってしまうと、辛いものだった。

この半年間で、仲間ではない関係になってしまったのだ。

苦しみなんて、本人以外わからないのだから「理解して受け入れてもらおう」なんてことは無茶があったのだ。

私はこんなんじゃ、負けない

切られたことが辛くて悔しくて、数日は人間不審に陥りました←

今でもこの集団リンチ事件は、人生でトップスリーに入るぐらい悔しい出来事としてランクインします。。。

だけど、意外にもメンタルはけろっと復活しました。

「私は負けない」

だって私は、地獄の沼の底を一度見た人間なのだ。

ドン底の沼から上がってきた人間のしぶとさを舐めないで欲しい。

結論:世界の風当たりが厳しいのなら、開き直ってやる。

「世界」は甘くない。そして、変わってしまうものだ。

えげつない苦難を乗り越えて戻ってきたとしても、風当たりは厳しい。

その風当たりに立ち向かうために、私が地獄から持ち帰ってきた苦難の突破方法、それは「開き直る」ことだ。

「自分のダメなところは、開き直って愛してあげよう」

「失敗したら、開き直ってネタに転換してあげよう」

「仕事やめたけど、開き直ろう。まぁ、死ぬわけじゃないし」

 

そして、悔しさは燃料にして、燃やしてしまおう。

「あーはいはい、ディスり?嫌がらせ?パワハラ?燃料投下あざーす!イカのレギュラーはただいま満タンになりましたんで、これからもっと頑張っちゃいまーす!あっもちろん貴方を見返すためとかじゃないですよ〜。自分が成長するためですから!」

ぐらいの気持ちで開き直れたら、勝ちじゃないですか?

地獄から這い上がってきて、そう悟りました(悟りis1記事ぶり2回目)。

この方法、なかなかできるものではないですが、心持ちがふっと楽になります。おすすめです。

開き直り教」を布教したいぐらいです。(決して、どっかの自己啓発本に影響されたとかではないですw)

※イメージ図

まぁ、半分冗談で、半分本気です。

 

さて次回は、私が興味をもった「可愛くて素敵な人♡」にインタビューした記事です。

今回の記事で、こんなにもふざけた結論を書いて、次以降読んでいただけるのかが不安ですが・・・

首をキリンにして待っていてください!!!!

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。